神奈川県福祉作文コンクール

“おもいやり”や“たすけあい”の心を育み、「ともに生きる福祉社会」の実現を目指して始められたこのコンクールは、昭和52年に始まりました。小学生も、中学生も、お年寄りも、障害のある人も、健康な人も、みんなで手をとり合い、肩くみあって、生き生き暮らせる社会を願ってコンクールを実施しています。

 

中学生の部   最優秀賞  神奈川県知事賞

   皆さんはダウン症という障害を知っていますか。 

 

   僕が小学校に入学する少し前に、初めてお母さんと二人だけで遊びに出かけた。どこに出 かけたのかは覚えていないが、最後にファミレスでご飯を食べた。その時、僕の姉がダウン 症という障害があると聞かされた。当時の僕には難しい話だったが、僕が小学校に入学した ら姉の事で嫌な思いをするかもしれない、でも誰も悪くないから堂々としなさいと言われた 事は良く覚えている。 

 

   小学校に入学して、姉の学年の男の子から「こいつの姉ちゃん、ちゃんとしゃべれないん だぜ」とからかわれた。その時何も言い返せなかった。僕が二年生になった時姉はクラスで いじめられて学校に行けなくなった。二週間も女の子に蹴られていたり、ひどい事を言われ 続けて、身体がおかしくなってしまった。学校が怖いと言っていた。やっと姉が学校に行け るようになっても僕は気になって、学校に着くと姉の教室をのぞきに行った。そこにはいつ もお母さんがいた。僕が幼い頃からお母さんが「心の強い人になりなさい」と言っていた意 味が少し分かった。学校だけじゃない。家族で出掛けた時には、姉をジロジロ見られたり振 り返られたり、指を指されたりする。姉は何も悪くない。僕達の様に障害が無く生まれてき た人でも苦手な事だってあるし、皆んなと同じに出来ない事だってあるのにひどい人が沢山 いるのが悲しかった。                 

 

    小さい頃の姉は具合が悪くなると入院する事が多かった。全身の筋肉が弱くて僕達が簡単 に出来ることでも、姉にとっては大変な時が沢山ある。そんな大変なことが僕にもわからなく、 行動が遅くてイライラする時もあるし、根性のある頑固になる時は頭にくる。障害が無く生 まれてきた兄弟でも、そんな風に思う事はあると思うし、兄弟げんかだってする。姉はやる と決めた事は必ず頑ばり続けるし、我慢強い。人の悪口も言わないし、人の良い所を見つける。 いじめられてもすぐ許す事が出来る。何でも前向きに考えるし、挑戦する勇気もある。毎年 僕の誕生日に、頑張って作った手作りのプレゼントをくれる。こんな良い所がある姉なのに、 なぜ皆んな冷たくするのか悔しくてたまらなかった。 

 

    ダウン症は姉が病気になったのでもお母さんが病気になったのでも無く、千人の赤ちゃん に一人の確率で生まれてくる障害だと聞いた。もしかしたら、僕がダウン症で生まれる可能 性だってあったはずだ。姉が千人の代表になって生まれただけなのに、それが分からない人 が大勢いる。 

 

    僕のお父さんは姉を障害児として特別扱いはしない。悪いことをすればすごく怒るし、良 いことをすればすごくほめる。 母は姉の障害を知った時に、ショックが大きく毎日泣いて一年以上家からほとんど出られ なかったそうだ。それでも父はどこにでも姉を連れて行ったと聞いた。すごいと思った。僕 は生まれてから母が泣いたところを見た事がない。今までたくさん泣いたから、どんな事が あってももう泣かないと決めたらしい。 

 

    そんな両親で良かった。そんな両親だからか、姉を障害児学級で過ごす事を選ばなかった。 小学校も中学校も通常のクラスで姉は過ごした。姉は友達と楽しく過ごす事が嬉しくて、自 分の出来る事を頑張り、僕より勉強をしていた。でも、毎晩遅くまで姉のためになる事や法 律を調べたりしていた母が、姉にひどい事を言う人にも、頭をペコペコ下げていたのが嫌だ った。障害者として生まれただけで、皆んなと同じクラスで過ごすことがこんなに大変なん ておかしいと思った。僕も悔しかった。皆んな同じに過ごさなければ解ってもらえるはずが ないと思う。車椅子の障害のある人などは、どんな事に手を貸してあげられるか解りやすい と思う。でもダウン症の人はそれぞれ僕達と同じに違っていて、手を貸してほしい所も違っ ている。だからこそ、もっと皆んなが障害を理解してその人自身を知る事が大切なんだと思う。障害のある人ない人を分けないでほしい。僕達皆んな、命の重さは同じなんだから。

 

左から、作文に登場する「姉」美憂ちゃん  作者、中学2年生  東ちづるさん
左から、作文に登場する「姉」美憂ちゃん  作者、中学2年生  東ちづるさん